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シャトー・レイヤスの歴史
シャトー・レイヤス
シャトー・ド・
フォンサレット
エマニュエル・レイノーの
造るワイン
シャトー・レイヤスに
関する記事
La Revue du Vin de France、2020年10月13日掲載
ロベルト・ペトロニオ & ドゥニ・サヴロ著

エマニュエル・レイノーと、彼の造るワイン
(レイヤス、ピニャン、フォンサレット、そしてラ・ピアラード)を
理解するために知っておくべき2、3のこと。

 エマニュエル・レイノーは、あらゆるシャトーヌフ・デュ・パプで最も洗練されたワインを造る。それがシャトー・レイヤスである。そのワインの価値を知っている彼は、秩序立っていて、同時に、今や世界的に知られるようになった評判にもかかわらず、控え目である。彼は自身のワイン造りに1つの卓越したスタイルを確立することに成功し、そのワインは誰もが知るものとなった。それにしても、彼はどのようにこの偉業を成し遂げたのか。

 エマニュエル・レイノーは1つの技量、1つのスタイル、1つの神秘を兼ね備えている。どのようにしてこのブドウ園経営者は、つぶしたイチゴや野イチゴ、ベルガモットが見事に調和した香りをワインに取り込むことができるのか。レイノーはこの神秘を、茶目っ気をこめ、最大限に利用する。ワインや自身の歴史、時代について2時間ほど意見を述べた後、彼は私たちを世界で最も洗練されたレイヤスの醸造室へと案内してくれたのだが、そこで私たちは口をぽかんと開けていることしかできなかった。レイヤス、ピニャン、フォンサレット、ラ・ピアラードなど、多くの有名なワインが生まれる空間は非常にシンプルで、むき出しの土、古い樽、ワイヤーの先にぶら下がる電球があるだけで、ほとんど未開の空間であった。

 そこで、レイノーの目が熱心になり、この活気のある小柄な男は自分のピペットを取り出し、私たちに赤ワインを飲ませてくれた。この香りは、一体何なのだろうか。この日、彼は、最初にフォンサレットのエレガントな真髄であるサンソーから試飲させてくれることに決めた。古びていない灰色の樽から出てきたこのワインは、私たちの嗅覚に衝撃を与える。とりわけ、これらの繊細なアロマが瓶内で存続するということを私たちが知っているのでなおさらである。

 これまで私たちは多くの若いシャトーヌフ・デュ・パプを味わってきた。そのうちのいくつかにはレイヤスの有名な香りに近いものもあった。つまり、野イチゴやベルガモットの香りである。しかし、多くの場合、こうした特徴は流動的なもので、熟成の間に薄れ、時間とともに消えてしまう。ほとんどのワインがそうであるが、エマニュエル・レイノーの造るワインは異なる。そのワインは、若くても熟成したワインの美しさを既に備えており、熟成すると時代を超越しているかのようである。この独特の味は多くのブドウ園経営者の好奇心をそそり、その多くが、エマニュエル・レイノーの秘訣を解明しようと、レイヤス、ピニャン、あるいはフォンサレットを購入している。私たちもこの記事で、その秘訣を解明したいと願う。

彼の家族
 アヴィニョン近郊の公証人であったエマニュエル・レイノーの曽祖父アルバートの死後、祖父ルイ、別名「専横的なレイノー」は、家族の中でもワイン造りに秀でていて、1920年から1978年までドメーヌを運営。その後、エマニュエルの叔父ジャックが引き継ぎ、1997年まで運営。子供がいないジャックは甥のエマニュエルにレイヤスの農地3分の1を与え、エマニュエルを包括受遺者とした。

 エマニュエルは叔母からさらにレイヤスの別の3分の1を、そして残りの3分の1を別の叔父から購入した。この別の叔父は軍人で、ジャック同様、ドメーヌが見ず知らずの者に奪われてしまうのではないかと心配していた。5人兄弟の3番目であるエマニュエルは、自分の兄弟姉妹に、土地を購入したことの埋め合わせをすることになるだろう。エマニュエルと彼の妻には6人の子供がいて、そのうち3人は農業界で技術を磨いている。

 エマニュエルの子供の男兄弟の中では、1989年生まれの長男がシャトー・デ・トゥールで働いている。エマニュエルはシャトー・レイヤスに新居を移したが、長男はシャトー・デ・トゥールに定住した。長男はドメーヌに造られた団体用の宿泊所を経営している。エマニュエルは、シャルル・モーラスの思想にも影響を受けていた非常に敬虔なカトリックの家庭で、「厳しく」育てられた。

 子供たちは祖父の食卓では口を利いてはならず、ワインを飲むことも許されなかった。エマニュエル・レイノーの教育方針は異なる。彼は自分の子供たちを厳しく教育するが、それは苦痛を伴うものではなく、人生とは何であるかを健全な仕方で教え、子供たちとの絆を育もうとする。

 彼は誰を自分の後継者として選ぶのだろうか。それぞれの子供にはその可能性があり、長い職人修業期間の後には、彼らのうちの1人か2人、あるいは3人が任命されることになるだろう。そこには常に以下のような懸念が付きまとう。すなわち、ドメーヌを分割してはならない。それが、エマニュエル・レイノーが自身のワイン貯蔵庫に何千もの瓶を貯めている理由だろう。ドメーヌを継承しない者に、おそらく、その報いとして与えられる瓶なのだ。

シャトー・デ・トゥールでのスタート
 エマニュエル・レイノーは、レイヤスの詩的な美しさや壮大さから遠く離れたサリアンの丘にあるシャトー・デ・トゥールでの自身のスタートに、自ら言及する。トゥールとは?カルパントラスから15分、エマニュエル・レイノーの曽祖父が1930年代に所有するに至った、野菜栽培用のテロワール。すぐ近くにイチゴが列をなして植えられているような一角。

 いつかレイヤスを造るのに必要な力量を身につけ、自分のスタイルを形成したのはそこであると彼は言う。彼の父ベルナールは、長男であったのだが、専横的なレイノーによってそこに送られてきていたのだ。それは、実を言えば罰であった。レイヤスは、家長という権威者に反抗的であると判断されたベルナールにではなく、第2子であるジャックに譲られたのだ。

 そのため、エマニュエル・レイノーがそうしたように、シャトー・デ・トゥールから出発しなければ彼のことを理解することはできない。シャトー・デ・トゥールは25ヘクタールのブドウ畑を含む60ヘクタールの土地と森である。1988年まで、ここで生産されたすべてのブドウは協同組合の貯蔵庫に集められていた。1982年、ドメーヌを運営していたエマニュエルの父はトラクターの事故に見舞われた。「私は19歳で、農業に関する職業教育免状を取得したところでした。徹底的に献身しなくてはいけなかったが、私は情熱に溢れていた。1人の労働者と共に、私たちは2人でトゥールの25ヘクタールを耕した。私たちは競争するのが好きでした。ブドウの樹について詳しくなったのもそこでです。」

 エマニュエルと彼の父親は多額の融資を受け、1989年、シャトー・デ・トゥールに貯蔵庫を設立した。「私のキャリアがスタートしてから10年後には、叔父ジャックの援助がなくても、運営は順調に進んでいました」と彼は打ち明ける。彼が非常に若い年齢で新しい実験を試みることになるのは、ここシャトー・デ・トゥールにおいてである。その実験とは、1年を超えた(ブドウの樹の)成長の延長であり、また、植物や土壌の研究、そしてワイン醸造などあらゆることに関する実験である。こうした実験のおかげで、後に、彼はシャトー・レイヤスのワインを偉大なものにすることができたのであり、しばしばそう信じられているように、シャトー・レイヤスのワインが彼を有名にしたのではない。

エマニュエル・レイノーの造るワイン
 エマニュエル・レイノーは現在、シャトー・デ・トゥールとシャトー・レイヤス、2つの農地の責任者である。

 サリアンでは、ヴァケラスのテロワールで、シャトー・レイヤスは複数のワインを生産している。

・ヴァケラス赤(プルミエ・クリュ、コート・デュ・ローヌ、グルナッシュとシラー)。
 このワインは、色素指数が非常に低いため、AOPから格下げされることがしばしばある。愚かなことであると、正直に言わねばならない。というのも、この見事なワインの香りの美しさに心を奪われずにはいられないからだ。

・シャトー・デ・トゥール(グルナッシュ、サンソー、そしてシラー)。
 コート・デュ・ローヌ赤として提案されているが、AOPヴァケラスに位置する土地から生産されたワイン。レイノーの王道の世界観を示すワインである。

・シャトー・デ・トゥール白(コート・デュ・ローヌ、グルナッシュ)。
 光り輝くこのワインは、太陽光をたっぷりと浴びた果実の、旨味の詰まった果肉の味を再現している。

・ドメーヌ・デ・トゥール(ヴォクリューズのヴァン・ド・ペイ、赤はグルナッシュ、クノワーズ、シラー、サンソー、メルロー、その他。白はクレレット)。
 間違いなくエマニュエル・レイノー最大の自信作。レイノーの特徴を示しており、熟してから収穫された果実、しかし重苦しさの無い果実の香りや触感が研究されている。それも、9.8ユーロ(税込)という非常に手頃な価格で購入可能。忘れえない強烈で深いこうした香りを、他のドメーヌで、同じ価格で見つけることは難しい。過熟果、腐敗が始まる果実を思わせる。

・パリジ ロゼ(ヴァン・ド・ターブル、グルナッシュとサンソー)。
 クレレットに近いロゼで、グラスに注ぐとまるで薄い赤のようなワイン。エマニュエル・レイノーは、ロゼワインに目がない義母を観察しながら、パリジ ロゼのようなワインを思い描いていた。ただし、注意が必要である。このパリジ ロゼは、最も高級なワインをも動揺させる可能性がある。しゃれた酒瓶の愛好家に高く評価されているパリのレストラン『プチ・ヴェルド』で、私たちは15年熟成のグリュオ・ラローズで夕食を終えようとしていた。私たちが締めのワインをレストランの経営者である石塚 秀哉に求めると、彼は少し考えてから貯蔵庫へ降りていき、思いがけないワインを持ってきた。それがパリジだ。私たちはいまだにあの口当たりを覚えている。

・ドメーヌ・デ・トゥール メルロー(ヴァン・ド・ペイ)。
 温暖な地域でのメルローの可能性を信じていたエマニュエルの父親が生み出した素晴らしいワイン。レイノーはこのワインを10年あるいは15年熟成させてから販売している。

 シャトーヌフ・デュ・パプとクルテゾンCourthezonの間に位置するシャトー・レイヤスでは、いくつものワインが生産されている。

・シャトー・レイヤス(シャトーヌフ・デュ・パプ、赤はグルナッシュ、白はグルナッシュとクレレット)。
 優れた砂地のテロワールがもたらす恩恵に対するオマージュ。ここの土壌は、珍しい栽培方法のおかげで圧倒的に洗練された果実を再現する。赤では、レイヤスの砂地が、洗練されたグルナッシュの比類ない美しさ、フィネス、優雅さ、そして深みをもたらす。グラスに注ぐと、一連の上質なタンニンと、文字通り魅惑的な果実のノートがある。時間と共に不規則に変化する白を造るために、エマニュエル・レイノーは大胆にも、貴腐ブドウのように熟したブドウを収穫する。それが白ワインに珍しい複雑さを与えるのだ。

・ピニャン(シャトーヌフ・デュ・パプ、グルナッシュ)。
 非常にシャトーヌフのようでもあり、同時に、非常にレイヤスのようでもあるワイン。レイヤスを飲む前にピニャンを飲むと、半歩上昇するような印象を受ける。レイヤスを飲んだ後にピニャンを飲むと、2歩落ちてしまう。確かに、高いところから始めた方が良いだろう。

・シャトー・ド・フォンサレット赤(コート・デュ・ローヌ、グルナッシュ、サンソー、そしてシラー)。
 全くもってコート・デュ・ローヌらしくないが、ユショーUchauxの区域で生産されるこのワインは、おそらく、AOPコート・デュ・ローヌにおける卓越したワインの最適な例証であろう。フォンサレット、それは、身体を持たないレイヤスの心と精神である。エマニュエル・レイノーの造るあの有名なサンソーも含まれていて、そのサンソーのおかげでワイン全体がより美しいものになっている。

・シャトー・ド・フォンサレット白(コート・デュ・ローヌ、グルナッシュ、クレレット、マルサンヌ)。
 レイヤスの年下の弟分。レイヤスほど深みはないが、同じように優雅。

・シャトー・ド・フォンサレット シラー(コート・デュ・ローヌ)。
 一枚岩のようには決して思えないシラー。そして、通俗的な原則の裏をかく。その原則とは、シラーというブドウの品種は、農作地の区域の北限で最も美しい表現をするのであり、南限でではないということだ。

・ラ・ピアラード赤(グルナッシュ、サンソー、そしてシラー)。
 エマニュエル・レイノーの幻想的な世界を見晴らすのに最もアクセスしやすいワイン。若いブドウの樹から生産され、特徴的な美しさを持ち、若さを感じさせない。

鑑定家としてのエマニュエル・レイノー
 レイヤスの当主になると、エマニュエル・レイノーは既に自分の顧客だった人々に語りかけ始めた。それでも彼は、利発的で鋭い判断力により、各々の新しい訪問客を注意深く値踏みすることを続けた。彼による試飲会は、彼の言うことが本当かどうか、秤に掛けられる場となった。エマニュエルが、自分が感じたことに応じて客を手玉に取ることもありえるし、客に様々なことを教えることもありえるのだ。

 特に、複数のワインを試飲させるのがエマニュエル・レイノーのお気に入りだ。私たちが一度シャトー・デ・トゥールを訪れた際、彼はよく考えず、任意の赤ワインを飲ませてくれた。それは見事な複雑さを備えた赤だった。「このワインは何ですか?」と、私たちは彼に問いかけた。彼は黙っている。「これは私が造ったメルローです」と彼は静かに、しかしぶしつけに言う。1998年物で、15年熟成させたそのメルローは、実に驚くべきものであった。「どのようにしてこんなワインを造っているのですか?」私たちはびっくりしてそう尋ねた。この日、彼はあまり多くは語りたがらなかった。すると、いくらかふざけてこう応えた。「ああ、収量は1ヘクタールあたり100ヘクトリットルを超えてはいけません。」

 別の機会にレイヤスを訪れた際には、洗練されたシラーを試飲させてくれた。彼は自分のピペットを樽に突っ込んだ。これほど良質なテクスチャー、これほどエレガントなアロマを持つローヌのシラーはほとんどない。彼は別の樽にもピペットを突っ込み、別のシラーを飲ませてくれたが、それは更により華々しく、驚くべきフィネスを備えた微量のタンニンがあった。優雅さと繊細さの頂点。私たちは動揺し、目を上げた。「この2杯目のシラーは何ですか?」私たちの反応に大喜びのエマニュエル・レイノーは、面白がって応える。「1杯目は砂利土壌のフォンサレットのシラーで、2杯目は砂土壌のシラーです。」偉大なテロワールの持ち味を正確にものにし、それを共有する術を持っていること、これこそ偉大なブドウ園経営者の特権である。

 また別の機会にレイヤスを訪れた際には、新酒の試飲のため、レイヤスは2階でエナメルを塗ったスチールタンクにピペットを突っ込んだ。彼は私たちにそのワインを差し出し、目を輝かせながら私たちの反応を待っていた。そのワインも非常に美味しかったが、またしても謎が生まれる。それから彼は別の樽からワインを注いだ。またもや衝撃的だった。より上質で、より複雑で、より申し分のないワインだった。「これは何ですか?」「最初のはフォンサレットのクローンで、2杯目はマサールのブドウです。」

 そういうことだ。ブドウからワインができる。私たちはそれを知っている。しかし、彼だけが、植物という素材がもたらす決定的な影響について、ここまで明確に熟知している。
ワインの生産数?
 エマニュエル・レイノーの多くの愛好家は、彼が実際に何本のワインを生産しているのか疑問に思っているが、レイノーはこの話題についてあまり語っていない。唯一信頼度の高いデータは、彼の畑の面積である。レイヤスとピニャンのブドウ畑は、フォンサレットのブドウ畑同様、10ヘクタール以上に広がっている。シャトー・デ・トゥールには、現在約40ヘクタールのブドウ畑がある。

困難だったスタート
 叔父のジャックが年齢と病気により衰弱し、1997年に亡くなった際、既にその数年前から力を貸していたエマニュエルはレイヤスを所有するに至った。彼が有名なレイヤス1995年物を、それと主張することなく生産したということはありえないことではない。しかし、運営を開始するや否や、エマニュエルは激しく批判される。なぜか。それはおそらく、彼が早くからレイヤスに大きな変化をもたらしたからであろう。

 というのも、彼は健康状態の悪いブドウの木を引き抜き、そこに不足分のブドウの株をたくさん植えた。当時、レイヤスの愛好家はそれを若さによる過ちと、無礼に値する行為であると見なしていた。以下のことを強調しよう。レイヤスを継承したことで貪欲さが掻き立てられていた。彼の叔父の家の近くのプロヴァンスのブドウ園経営者たちは、彼のドメーヌを眺めることができた。エマニュエルの仕事に関する否定的な噂が広まり始めたのはこの頃だった。ブドウ園経営者の生活が、長く穏やかな川であることはありえない。

個人的なブドウ栽培
 エマニュエル・レイノーのマントラは、隣人よりも早い時期に剪定し、樹が風に対して強くなるよう不要な部分を切り取ることである。彼は、ゴブレ型に剪定された根元の上部に、パラソル代わりの小さな葉っぱを残してブドウの房を太陽光から守り、葉の表面が成長するときに必然的に起こる「シュガー・ファクトリー」効果を回避する。言い換えるなら、葉を成長させて分枝を妨げ、そうして将来ブドウの房が小さくなるのを避ける多くのシャトーヌフの生産者とは反対のやり方である。エマニュエル・レイノーは小さな房のブドウも排除せず、熟成させる。観察し、レイノーが立派であると判断すると、それらを醸造のために使用し、ワインに自然な酸味を加える。

 エマニュエル・レイノーの土壌は、庭園のように手が加えられる。ほとんど収穫期まで土は耕され、雑草がブドウと水を奪い合わないようにしている。2019年がそうであったように、10月末、さらには11月初旬と、収穫期も徐々に遅くなっている。とりわけ、エマニュエル・レイノーはブドウを収穫する前に1度か2度雨が降るまで待つことを躊躇わない。それは、多くのブドウ園経営者にとっては一種の冒涜であり、彼らは逆に、雨季が始まる前に収穫しようとする。

 なぜか。確かに収穫を遅らせることで、タンニンはより長く熟し、同様にブドウの果肉も長く熟す。しかし、雨季が始まると、水分でいっぱいになったブドウは最大でアルコールが1.5度低くなり、ワインがより消化しやすく、より軽いものになってしまう。このリスクを冒すと、収穫ができなくなる可能性がある。というのも、熟しすぎたブドウは雨の後に「腐り始める」からだ。2014年は、オオトウショウジョウバエによって被害を受けた難しい年だったが、エマニュエル・レイノーは収穫を遅らせるという賭けに出た。そして彼は正しかった。そのワインには通常の2倍の揮発酸があるが、この過剰な酸味のおかげでワインは複雑になり、ややブルゴーニュワインのアクセントさえ含んでいる。抜栓から2時間後に試飲してみると、グラスの中で揮発酸は変化せず、安定したこのワインは保存のために造られていることが分かる。しかし、限界ギリギリの賭けをしているため、失敗することもある。2018年、エマニュエルは極端な加工を施すよりも、収穫をやめることにした。そのため生産されたレイヤスはわずか500リットルだった。「手段や能力があるにも関わらず私がそうしたリスクを冒さないのであれば、他に誰がそうするのでしょうか」と彼は主張する。

ワイン造りという技術
 2019年12月3日にドメーヌを訪れたところ、貯蔵庫で、2019年物のいくつかがまだ発酵中であることに気づいた。しかし、その年のこの時期には、シャトーヌフの全生産者あるいはほぼ全ての生産者が既に樽に詰めているか、あるいは醸造桶に入れてしまっていた。したがって、レイノーのスタイルは、多数の個人的な選択の追加によるものである。

 樽の1つが悪臭を放っている場合には、エマニュエル・レイノーはそれを消毒する独自の方法を持っている。翌年、彼はこの樽で新しいワインを発酵させる。彼のドメーヌでは、CO2は防腐剤として機能している。

 エマニュエルはまた、収穫全体にまつわる愛情こもった実践をしていると主張もする。彼はブドウの実を圧搾して少量の果汁を取り出す。それが酵母のプロセスを開始するのだ。「よく知られている通り、温度が上昇すると、酵母は活動しなくなる傾向があります。酵母の手助けをしないといけません」と彼は説明する。

 レイヤスでは、ワインは独自の行程をたどる。一度発酵すると、瓶の貯蔵庫の上の中2階にある、エナメルを塗った金属製の醸造樽に移される。そして、前のワインが樽を離れると、その年のワインが醸造樽から取り出されて「下に行き」、空になっている樽に移されるのだ。このように、樽が空のままであることは決してない。これが非常に重要なポイントである。準備が整ったら、ワインは醸造樽に戻される。

熟したワインを読み取る
 「毎年、私たちは学ぶ」と、ワイン鑑定の独学者と自称するエマニュエル・レイノーは断言する。彼にとって、最も多くのことを教えてくれるのは熟したワインである。「熟したワインが新鮮なままであるとき、熟成したワインがほぼ永遠にそのままであることを理解するとき、それは熟考を促すものとなります」と彼は認める。最近、彼は古いピニャンにとても興味を抱いている。非常に古いピニャンの見事な変化に、彼は驚いた。それは彼が、ピニャンよりもフォンサレットの方が保存に適していると思っていたからだ。このことで彼は自問するようになり、そのおかげで多くを学んだ。

 食事の席では、エマニュエル・レイノーは、他の者たちよりも長い間ワインを空気に触れさせておく。彼はワインをより良く評価するために、あらゆる時間を費やす。ワインを試飲し終わった後、しばしばグラスの底の匂いをかぎながら、「私は空のグラスに興味があります」とも言う。薄いアロマしか残っていないこの空のグラスに、エマニュエル・レイノーは自身の造るワインの未来を読み取り、そのワインが年数をかけてどのように洗練されるかを読み取る。あるいは洗練されないかを。時間と和解する、それが彼の関心事である。彼は自分のワインを、確実に、適切なタイミングで提供したいと考えている。シャトー・デ・トゥールは瓶内で4、5年熟成させた後に販売される。ヴィンテージにもよるが、レイヤスは7年から10年熟成させた後に販売される。そのため、2011年物が販売されたのはほんの数ヶ月前であった。

料金という厄介な問題
 彼は言う。「1980年代、私の叔父は150フラン以上で売れるような素晴らしいワインを造ることを誇りに思っていました。今日最も難しいのは、入手しやすい素晴らしいワインを提供することです。非常に入手しやすいトゥールのヴァン・ド・ペイで、私たちはそれを実現します。それを幸せに思います。」

森に守られて
 レイヤスは森の真ん中にある。しかし、より多くのブドウの樹を植えるために木を切り倒すことなど論外である。エマニュエル・レイノーにとって、森はグルナッシュのためにみずみずしさと湿気を保つものである。ワインはそこからバランス良く利益を得る。「そして、ブドウ園に沿ってある森を取り除くと雹による被害を助長することになってしまいます。ブルゴーニュ地方の人々にはそれがよく分かっています。」と彼は付け加える。

 レイヤスは独自のエコシステムとして考えられ、大切にされている。したがって、エマニュエル・レイノーは、レイヤスで取れるイブキジャコウソウは、他の場所で取れるものとは同じ香りを放たないと主張する。ある日、私たちは彼の言葉を受け入れることになった。というのも、私たちは彼に2つのイブキジャコウソウのブーケを差し出したのだが、そのうちの1つはレイヤス産のイブキジャコウソウのブーケであり、彼はレイヤス産のイブキジャコウソウをすぐに嗅ぎ分けたのだから。

申し分のない運命
 レイヤスの所有者であり、職人でもあるエマニュエル・レイノーはもうじき57歳。彼は流れる時間に対して鋭い感覚を持っている。「祖父が亡くなったとき、私の父は既に思慮に富んだ人でしたが、長い間、様々な実験を行うにあたり時間をとることができなかったのです。私の叔父は、1984年まで私の祖父と一緒に働いていました。彼がレイヤスの指揮を執っていたのはたった14年間と、短い時間でした。私は、今の私の年齢で、このドメーヌのトップとして既に彼らよりも長い時間を過ごしていますし、自由でもあります。そして毎日、私は自分がいかに幸運であるかを感じています。」

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